今回は映画「パーフェクトノーマルファミリー」の紹介です。
結末を知った上で観た方が安心できるという当事者の方々もいらっしゃると思うのでストーリーを追っていきます。
※この記事は映画のネタバレを含むのでご注意ください。※
※ネタバレを踏みたくない方はブラウザバック推奨です!!※
パーフェクトノーマルファミリーってどんな映画?
デンマーク郊外を舞台に紡がれる、監督自らの実体験に基づいた家族の物語です。
「女性として生きていきたい」と打ち明けた父トマスとその家族、特に娘のエマの心情が描かれます。
見どころは、カミングアウトする当事者ではなく、その娘である少女の目線から物語が展開される点です。
とにかく切り口が新しく、斬新なのです。
MtF(トランスジェンダー)当事者が鑑賞するには作中、辛い言葉が出てくるかもしれませんが、少しずつ愛を確かめていく様子は希望の持てるラストに終着します。
デンマーク・アカデミー賞で9部門にノミネートされています。
ストーリー
物語は少女エマを撮影したホームビデオを差し込みながら進んでいく。
小さいながらにサッカーボール手にはしゃぐ姿が印象的である。
やがてエマは地元のサッカークラブに入ったのだが、そのきっかけになったのは何と言っても大のサッカー好きの父トマスとの大切な時間だった。
時は流れてエマは11歳。
突然、両親から離婚をすると告げられる。
「どうして…?」
その理由はパパが女性として生きていきたいから。
実はすでにホルモン療法を開始していて、これから性別適合手術を受ける予定だという。
エマは予想だにしない告白に理解が追い付かない。
タイでの手術を終え、再開したトマスとエマだったが、エマは変わり果てた父の姿を受け入れられなかった。
自分の顔をぐるぐる巻きにしたエマからからは「視界にも入れたくない」という激しい拒絶がうかがえる。
性別を変え、「アウテーネ」を名乗る父。
姉のカロリーネはそれを受け入れたが、エマの気持ちは対照的である。
次々と事が進む中、置いてけぼりのエマ。
一方で「今まで通りの父でいてほしい」と願う想いもあり、二つの錯綜する葛藤がありありと伝わってくる。
それからというもの父はアウテーネとしてエマと接していく。
サッカーの試合に送って行ったり、誕生日を一緒に過ごしたり。
しかし、エマはやるせない思いを一人で抱え、行き場のない不満を爆発させる一幕もあった。
カロリーネの堅信式(成人の儀式)ではアウテーネに対する姉妹の認識の違いが顕著に表れる。
半分大人のカロリーネはアウテーネのことを性別が変わっても、名前が変わっても父として、人として変わることのない家族であると、とても前向きに捉えている印象だ。
エマはというと父が父でなくなったと思い込んでいてその表情は暗い。
たった2歳のその差は考え方にこれほどの違いを生むものなのか。
マイノリティに寛容なカロリーネは素直にすごい。
物語終盤、アウテーネはロンドンに引っ越すことになる。
エマのためには離れたほうがいいと判断したからである。
ロンドンへの転居が決まったことをアウテーネの口から告げられるとカロリーネはここで感情を爆発させた。
「家族を捨てるの!?」
何でもないようにふるまっていたカロリーネもここは耐えられない。
「エマのせいだからね」
非常に重い言葉である。
エマはずっとずっと葛藤してきた。
父の愛情をたっぷりに受けていることをわかっていたし、大好きだったから。
最後の別れの時、エマの中で強くなっていたのは「寂しい」という感情。
アウテーネを制止して、ロンドンに行かないでほしいとすがりつく。
しかし、アウテーネは「エマのためだから」と言い、「ロンドンに来て」と残して二人は別れた。
このやりとりには突き放す感じはなく、むしろ温かい。
映画のラストはロンドンでのビデオが映し出された。
そこにはアウテーネとエマがいて、一緒の時間を心の底から楽しんでいるようだ。
愛する気持ちは変わらないー。
幾多の葛藤を乗り越えたエマの晴れ晴れしい笑顔が締めくくる、愛に溢れた作品だった。
抜けがちな視点 カミングアウトを受けた側の苦悩
私はセクシュアルマイノリティを題材にした映画を見ると、どうしてもMtF(トランスジェンダー)の立場、視点で考えてしまうことが多くあります。
カミングアウトを受けた側の視点をないがしろにしてしまいがちなのです。
カミングアウトを受けた側にはどんな苦悩、葛藤があるのか。
この映画はそういった抜けがちな視点をよく表しているので、学びの多い作品でもあると思います。
アウテーネがアウテーネとして生きていきたい、早く変わりたいと思うのも本当によくわかります。
ですが、相談なしにホルモンを開始している点を見ると家族の理解を得るにはかなりリスキーなカミングアウトのやり方だったのではないでしょうか。
父が女性になる=性別適合手術を受けることだけではなく、両親の離婚という現実も成人していない姉妹に対しては酷な話だったと思います。
カミングアウトのやり方に正解はありませんが、アウテーネとエマの関係性はケースの一つとして捉えることができます。
対話を重ねることや家族の気持ちを想像することも、時には必要になってくるのかなとは思います。
ホームビデオの役割 -親子間の深い愛情-
この映画では時折挟まれるホームビデオがとても大きな意味を持っていたように思います。
ホームビデオからは、エマの成長がどんなときも父という「存在」とともにあったことがわかります。
サッカーボールをプレゼントされたときのエマも、父トマスと一緒にサッカーをするときのエマも本当に楽しそうです。
エマはそんな「父親のトマス」が大好きでした。
だからこそエマは自分の父がまさか「女性として生きていきたい」と言い出すとは考えもしなかったのです。
大好きだったがゆえに理解ができずに思い悩んだ。
そのたびに父との思い出が脳裏に浮かぶ…
エマが抱えた混乱、苦悩、葛藤をこのホームビデオは対比的に表していました。
幾多の葛藤を乗り越え、物語終盤には分かり合えた二人。
ロンドンで再開し、一緒に街を回るシーンはホームビデオの映像で幕を下ろします。
この映画に差し込まれるホームビデオは一貫してエマにとっての一番の時間、最高の時間を描いていました。
もし、ホームビデオがなかったらこの映画から受ける印象も変わっていたかもしれませんね。
この映画から思うこと
この映画が伝えているのは、
トマスが女性になってアウテーネになってもその存在は何ら変わりない。消えて無くなるものではない。
どんなジェンダーであってもトマス(アウテーネ)から注がれる愛情は深い。深いのである。
そしてこの親子の絆は他の誰であっても成しえないかけがえのないものであって彼女らにとってはたどり着いたこの関係が素晴らしいものなんだ。
というところなのではないでしょうか。
分かり合うためには時間がかかるかもしれないけれど、その先にはしあわせ(平穏な日々)がきっと待っています。
自分たちだけの「ノーマル」が見つかれば、どんなかたちであっても「パーフェクト!」と胸を張っていいんだと個人的には考えます。
パーフェクトノーマルファミリーは考えさせられることが多くも、とても温かい映画でした。
LGBTQ+やセクシュアルマイノリティ等のキーワードで、関連の映画を探している人にはおすすめです。
何かのご参考になればと思います。


コメント